保護者ブログ
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- 12年生になりました
- 息子の1年生の頃を思い返しました。シュタイナー教育に出会った頃、“子育ては、なんの種かわからないが、大切に育てることに似ている”というような話を聞いたことが、記憶の片隅にあります。「たくさん水を与えすぎても萎れてしまうし、放っておいても枯れてしまう。どんな花が咲くかは、咲いてみないとわからない」という内容だったと思います。本当に、息子が小さかった頃は、種から芽が成長してどんなふうに伸び、彼がどんな高校生になるのかなど、全く未知で、想像もできませんでした。そして、この学校に通うようになってから、12年生(高校3年生)の真っすぐで素直でまぶしいような姿を見かけるたびに、息子もあんなふうになれるのだろうか…?と、心配ばかりしていたような気がします。はじめての子育てに、行き当たりばったりで模索し、自分の枠にはめて、つい失敗しないよう手を出し過ぎたり、現代社会との折り合いをつけるのに苦労したり、私もたくさん学び考え、多くの出会いに救われて、やっとここまで来ることができました。息子、とうとう12年生です。昨年11年生では、たくさんの実習や体験をすることができました。福祉体験実習、労働体験実習、広島…
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- スポフェス
- 京田辺シュタイナー学校には、スポーツフェスティバル(通称スポフェス)というものがあります。4年前、編入して学校にようやく慣れてきた頃、初めてこの行事に参加しました。運動会のようなものですが、BGMもなくのんびりとした雰囲気。高等部の生徒たちが、笑いを交えながら上手に進行をしたり、その後ろで走り回って競技の準備をしたり、低学年の子どもの手を引いて誘導したりしている中、先生たちはテントの下で見守っているだけに見えたので、不思議に思って後で訊いてみました。すると、スポフェスは企画から準備、会場設営、当日の進行に至る全てを、高等部の生徒が担う高等部主催の会だというのです。子どもだけでそんなことできるの?そんなことさせてもらえるの?!と驚きつつ、おもしろい学校に来たなぁとワクワクしたのを思い出します。あれから時はすぎて、全校でのスポフェス開催は4年ぶり。娘は10年生となり、スポフェスを主催する側となりました。9~11年生が縦割りのグループに分かれて、それぞれ1~8年生の競技を企画します。娘は8年生の競技を担当するグループになりました。企画会議の様子や競技を試行したときのエピソードを聞くのは、家族…
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- 物理学の学び
- 「てこの原理を使ったものを持って行かなあかんねんけど、何があるかなぁ?」ある日、帰宅した7年生の息子に聞かれました。私は、咄嗟に答えられなかったのですが、息子は「例はペンチやったから同じものじゃない方がいいし、はさみを持って行こうかな」と自分で持って行くものを決めていました。次の日「はさみはてこの原理を使ったものやったの?」と聞いてみたところ「そうやで。ここが支点で、ここが力点、ここが作用点」と教えてくれました。また、爪切りを持ってきて「爪切りはてこの原理を2つ組み合わせたものやねんて。どこが支点かとか難しいけど、全部自分で分かったんやで!」と得意げに教えてくれました。物理学の中の力学では、古代から人類が建造物を建てる過程で獲得してきた知恵をたどりながら「重い物を楽に(軽い力で)運ぶには、また小さな力を大きな力にするにはどうすれば良いか」ということを学んでいきます。ころを使って1人で3人の人を運んだり、タイヤが回らない状態と回る状態で車を引っ張ってみてその違いを知ったりという実験もしたようです。自分の学生時代には「物理学は難しい」という印象しかなかったのですが、このような学び方なら、物…
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- 3年生の5月の味
- この春、3年生に進級した娘は、たまらなく大きくなった気分でいます。それは、学校で生活科の授業が始まり、園芸をしたり調理をしたりといった経験をしたことで、お母さんと同じことがたくさん出来るようになったからです。下校後、夕方の台所に親子で立つ時間も増えました。「お豆腐切るのは任せてね」「お味噌は私が上手に溶かせるよ」生活科が始まるために仕立てたエプロンと三角巾もフル稼働です。5月の連休は、遠方から遊びに来てくれた同い年の従姉妹と一緒に、野草摘みとその調理で盛り上がりました。まずは娘が描いたメモを頼りに、たんぽぽ、スギナ、カラスノエンドウ、よもぎ、を探しにお散歩です。五月晴れの中、田んぼのあぜ道を歩くのは気持ちよくて、「あっちにあるよ!」「あ!こっちにも」と、どんどん足が進みます。摘んだ野草はザルに並べて綺麗に仕分けられ、洗って衣をつけて、フライパンの中へ…たんぽぽ、スギナ、カラスノエンドウは天ぷらに。よもぎはあんこを包んだよもぎ餅になりました。たくさん食べて、集まった親戚達にご馳走もして、2人とも大満足。連休中、たっぷり共に過ごした従姉妹が帰る時はとても寂しい瞬間です。普段は遠くて会えない…
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- 校庭のさくらんぼ
- 木々にやわらかな葉がそよぎ出すころ、子どもたちがうれしそうにさくらんぼの話をしはじめる。「ねえ、もう食べた?」「食べた。めっちゃ赤いの。」「いいな、うちのクラスまだ。」校庭の桜の木にさくらんぼが実りはじめるのだ。実を摘む番は低学年のクラスからめぐってくる。その年の実りに合わせ一人数粒ずつ。この季節がやってくると、1~12年までみんな心待ちに桜の木をのぞきこむ。そして、実が色づくごとに子どもたちの顔もほころんでくる。この桜はいったいいつ植えられたのだろう。はじめは小さな苗で実もならなかっただろう。かつてだれかが、いつか子どもたちが実を摘める苗を、と選んで植えてくれたのだろうか。今年はとりわけたくさん実ったらしい。実り、分け合い、笑顔を増やす。この学校もそんな風に豊かに実り続けて欲しい。 U.
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- 詩の贈りもの
- 1年生の終わりに、息子は初めて詩をもらいました。担任の先生がクラスの子ども一人一人に詩を作り、贈ってくださったものです。春休みの間に家で読み、2年生になったら一人ずつ、みんなの前で唱えることになっていました。息子の詩は「水晶」にちなんだもの。入学したときに自分の目印としてもらったのが水晶のマークでした。靴箱や机や椅子、持ち物などに水晶のマークがついています。この1年間、学校生活をともに過ごしてきた「ぼくのマーク」には特別の親しみを覚えているようです。私も、息子の持ち物につけるために水晶を描く練習を何度もしたので、このマークには愛着がわいてきました。なぜ水晶なのだろう、どんな思いが込められているのだろうと不思議に思ってきました。息子に贈られた詩の一部を引用します。 つめたいだいちの そのしたで ひかり かがやく すいしょうは ながいながい ときをこえ まもられてきた たからもの そっと みみを すませると きこえる だいちの うたごえが春休み中は毎日1回、家族3人で声を合わせて唱えました。リズムがよく、唱えていると明るい力がわいてくる詩です。私は特に「そっと みみ…
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- 部活がんばってます!
- 4月の半ば、娘のいるバレーボール部で引退試合がありました。例年京都府の私学交流大会に本校のバレーボール部も参加していますが、12年生はこの日を現役最後の試合としています。ここ数年新型コロナウイルスの影響で中止や規模の縮小が続いていましたが、今年は待望の通常開催となりました。私も、娘が入部して3年目にして初めて試合を、そして娘のプレーを見ることができました。試合はワンセットマッチで合計6校と対戦しました。一年の集大成として部員みんながとても大切にしている試合とあって、保護者だけでなく先生やクラスメートも応援に来てくれていました。自主練習が中心で、練習量も決して充分とは言えないわがチーム。はじめは、失点の度に胃が痛くなるような思いでしたが、ふと子どもたちの顔を見ると、たくさんの声援のもとプレーできることが嬉しくてたまらないといった様子で瞳が輝いています。得点した時の弾けるような笑顔、ミスした時に声を掛け合う時の爽やかな笑顔・・・。きっと緊張もしているのでしょうが、それ以上にみんな一瞬一瞬を味わい、楽しんでいるようです。控えの選手もピンチサーバーとして幾度となく出場し、活躍していました。試合…
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- パソコン実習
- 三学期の終わりに、娘のいる9年生のクラスでパソコン実習がありました。例年この実習が終わるとパソコンを使えるようになるため、娘も以前から楽しみにしていました。二日間の実習の初日、学校から帰った娘がおやつを頬張りながら色々と報告してくれました。「電線をたくさんつなげて計算できる機械をつくったよ。」少し前の学年会で担任の先生から説明があったのですが、今回の実習は「仕組みを理解した上で道具を使うことを大切にしたい」という考えから、コンピューターのしくみについて学ぶのだそうです。「パソコンって1と0だけで計算してるんだよ。」「全ての数を1と0だけで表せるんだよ。例えば・・・」理系オンチの私は、わが子がこんなことを理解できるのかと驚きながら、娘の説明に耳を傾けました。それでも、というか案の定、私には理解しきれなかったのですが、後日先生に詳しく説明していただく機会がありました。実習では、コンピューター内での情報伝達に使われる「2進法」と「論理回路」について学んだ後、ごく簡単な「リレー式計算機(加算機)」を作り、回路図どおりに配線をつないで簡単な計算をしたそうです。実際に配線をする前に「1の時に手をあ…
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- 子ども部屋を片付ける日 ~卒業生保護者より~
- いま我が家は大掃除の真最中。息子の部屋にあるものを全て片付けて、我が家の「書斎」にすることにしたのです。息子はもうすぐ大学4回生になります。遠い地方の大学に進学し、家を離れて一人暮らしをしています。このコロナ禍のこともあり、ほとんど帰省していません。「部屋の片づけは本人がするもの。」という考えもあることでしょうが、息子の帰省を待っていたらいつになるかわかりません。そういうわけで、今後の暮らしをすっきりさせるためにも、夫と二人で「子ども部屋」を片付けています。息子の部屋からは、懐かしいものがたくさん出てきます。手仕事で作ったものやエポックノート。そして…、膨大な量の紙があります。書かれている内容を一つ一つ見るわけではありませんが、備忘録的なものから、何かの練習などもあり、『思考して書く』機会が多かったことが感じられ、この積み重ねが今につながっているのかなと想像しています。息子が大学に進学したのは、コロナ禍が始まった2020年春のことでした。世のなか全体に緊迫感がある中、準備も不十分なまま、ほぼ身一つで現地入りしてアパート暮しが始まりました。入学式は中止となり、入学してからも登校には大きな…
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- 田んぼや畑のお仕事
- 冬の田んぼは稲刈りを終え広々としています。柔らかい小さな草の霜がきらきらと日に照らされ、田んぼの土は静かに春の訪れを待っています。我が家は、家族が食べるものは自分たちで育てたい!と、息子たちが小さな頃からお米と野菜作りに励んでいます。息子たちは田んぼや畑で水路に住む生き物を捕まえるのを楽しんでいましたが、だんだんと田畑仕事を真似て手伝ってくれるようになってきました。3年生の息子は学校で園芸の授業がはじまりました。息子は園芸の授業を毎週とても楽しみにしています。「今日は麦の種をまいたよ。」「藍の葉を育ててすごく繁ってるよ。」「田んぼの雑草をピンクの虫が食べてくれるんだって。でも稲も食べちゃうから、みんなで増えすぎないように拾い集めたよ。」などと、新しい学びに目を輝かせて、嬉しそうに話してくれます。秋には「学校の田んぼで育てたお米がたくさん収穫できた!」と驚いていました。またそのお米に感謝をささげて収穫祭をしたあと、3年生がおにぎりにして全校生徒に食べてもらったことをとても誇らしげに話してくれました。我が家の田んぼでは、1年中食べられるほどのお米は到底収穫できません。そこで、そのお米から麹…
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- 子どもが卒業して数年。さて親が思うことは・・・
- 京田辺シュタイナー学校を長男が卒業して6年、長女が卒業して4年たちました。長男は春から社会人2年目。長女は大学4年生になります。14年間毎日3つ作り続けたお弁当は、今夫の分1つだけになってます。大学入学と同時に長男は地方の大学に入学して家を出、その2年後に娘も地方の大学に入学。夫とわたしの2人の暮らしは4年目になります。そして「この暮らしもわるくないな」というのが今の感想です。昨夏、長男が職場の休暇で、そして娘が大学の休みで京田辺に帰省した時、わたしは自然に普段より少し頑張って食事の支度をし、子どもの予定を聞きながら自分の予定を立て、出来るだけ家にいるようにしようとしていました。子どもたちがそれぞれの住処に帰ったあと、なんだか肩の力が抜け少しほっとしている自分に気付きました。以前は子どもがいるのが当たり前の毎日だったはずなのに。子どもたちよ、ごめん!そして思ったのです。「あぁ、わたし子どもたちがいた頃、少し肩に力が入ってたんだ」子どもたちがシュタイナー学校に通っていたころ、幸いなことに大きな苦労や心労があった訳ではありません。でも、やっぱり少し毎日「親をがんばる」をしていたのだな、と気…
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- かるた部誕生
- 昨年、京田辺シュタイナー学校に新しい部として競技かるた部ができました。その経緯について、親からの視点で書いてみようと思います。我が家と学校の歴史の中で、欠かせないものの1つが「かるた」でした。学校の恒例行事である新春の百人一首大会。これをきっかけに長男から始まった我が家のかるたへの情熱は、長女・次女を経て、最後の三女に受け継がれ、さらに大きく盛り上がることとなりました。まず長男が11年生の頃から競技かるたを始め、26歳になった今でもずっと続けています。その姿を見ていたこともあってか、次いで三女も競技かるたを始めました。6年生の終わり頃に全日本かるた協会に属する「京都小倉かるた会」に入りましたが、偶然にも一学年下のMさんも説明会に参加していて、同時に入ることになりました。そして同じかるた会の仲間と共に切磋琢磨の競技かるたの道が始まりました。真剣にかるたに臨む強い思いや日々の努力は、はたから見ていても、本当に心を打つものがありました。競技かるたを続けていく中で、娘の心の中にある1つの思いが強まっていったようです。それは、京田辺シュタイナー学校に競技かるた部を作りたい!というものでした。当初…