心の宝箱に積もる言葉たち

京田辺シュタイナー学校の子どもたちにとって、暗唱はとても身近な行為です。毎日唱える朝の詩や帰りの詩はもちろん、エポック授業(*)ではその主題にふさわしい詩が学びに付き添います。前年度末の「かがやき」(*)で一人ひとりに贈られた詩は朝の時間に日替わりで唱えますし、専科の授業でも詩や文章を唱える機会が多くあります。

それだけでは飽き足りないとばかりに、子どもたちは身の周りに響いている色々な言葉を覚えて唱えます。我が家では、昼食の時間に担任の先生が読み聞かせてくれる物語の一節、季節の行事の際に高等部の先生が唱える「お祈り」の言葉、そして近頃はミカエルの詩がよく聞かれます(先日のミカエル祭で唱えた2年生や6年生の様子を真似ることも……)。
さらに、本を読んで心に響いた言葉も、とりあえず覚えます。ハリー・ポッターの組分け帽子の詩、『不思議の国のアリス』の中の何だかよく解らない詩、ハイジがおばあに聞かせてあげる讃美歌集の詩、『古今和歌集』の「仮名序」(これは母親の私が覚えたいと思って手元に置いていたのをいつの間にか子どもが読んで先に覚えてしまいました)、などなど。

4年生の次女は、先日までメインレッスンで『古事記』を学んでいたので、時折、授業で聞いたテキストを再現してくれました。原文ではないとは思いますが、言葉のリズム、力強さが子どもの口を通しても伝わってきて、この国の起源を書き記そうとした古代の人々の情熱を感じることができました。「ここまでが神様たちのお話で、ここから人間たちのお話が始まるんだよ」と教えてくれた時、覚束ない記憶を辿りながら「去年学んでいた北欧神話と似ているね。あそこでも神様のお話に人間の誕生が続いたでしょ」と応えたところ、娘は「違うよ。北欧神話では神様が滅びてから長い時が経った後に人間が出てきたからね」と言い、おもむろに北欧神話の一節を唱え始めました。いつもは隠れている昔の記憶がふとした拍子に姿を現して、今の学びを多面的なものにしてくれるということを実感した瞬間でした。
また、『古事記』を学んでいた時期は、家にある裏紙にたびたび「伊邪那岐命」「伊邪那美命」「天照大御神」などと縦書きで書き散らされていました(※表記は違うかもしれません)。

このように言葉には、音、リズム、形があり、時代や場所を越えた感情や記憶を込めることができ、それらをくるりと一つにまとめて心の中にしまっておくことができます。そしてそれを取り出したときには、たくさんの人と分かち合うことができます。
時に無意識に呟き、また時に朗々と披露してくれる子どもたちの暗唱を聞きながら、美しい言葉を日々学校で受け取っていること、そしてそれをしまって(記憶)取り出す(暗唱)術を身につけたことは、心の中に宝物と宝箱を得たようなものだと感じています。

(*)「エポック授業」、「かがやき」については、シュタイナー教育の特色(京田辺シュタイナー学校公式ウェブサイト)でご説明しています。
(*)「かがやき」については、こちらの記事もお読みください。

Y.T.


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