この春休み、夫のひとことにわたしはびっくり。
そのひとことというのは
「こんど僕もオイリュトミーやってみるかな」というもの。
「えっ!やるの?なんでまた?」とわたし。
オイリュトミーとは
ギリシャ語で「美しいリズム」という言葉に由来し、
ルドルフ・シュタイナーによって創られました。
音楽や言葉の「響き」の中にある本質・法則を、
人間の身体と空間を通して目に見えるようにしてゆく
動きの芸術です。
今まで色んな人に
「オイリュトミーいいですよ。」
「お父さんもトライしてみて下さい。」
と勧めてはきたものの、
自分の夫がオイリュトミーシューズをはき、
オイリュトミーをする姿というのを思い浮かべたことは、
実は一度もなかったのです。
わたしの「なんでまた?」という問いに対して、
夫はさらりと「やっぱり芸術は大事だろう。」
と答えるのです。
夫は理系人間で、
歌を歌えば音痴、絵を描けばどこかマンガ風、
体を動かすのは野球かバレーボール、という人。
その夫が芸術の必要性について語るようになるとは・・・。
しかしそう言えば、
彼は本校でオイリュトミーを教えてらっしゃる
オイリュトミストの鈴木智子先生の舞台を観たとき
「すごい!」と感嘆の声をあげていたこともあったっけ。
見る目はあったということかしら。
そしてまた、
この春9年生(高等部1年)となる息子や、
7年生となる娘が、
なにやらすくすく育っている様を見るにつけ、
「彼らがこのように育っているのは、
芸術の力が大きいのではなかろうか」
と思うに至ったのかもしれず。
近いうちに、わたしは夫とともにオイリュトミーの講座を
受けることになりそうです。
喜ぶべきことなのだろうけれど、なんとも気恥ずかしい。
おそらくわたしは彼の動きが気になって気になって、
注意力散漫な状態で講座を受けることになるでしょう。
そして講座のあと彼はさらりと言うのだろうなぁ。
「面白かった。もっと早く始めればよかった。」と。
k/k