2011年3月11日に起きた東日本大震災とそこから発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故。本校にも、原発事故による放射能被ばくを軽減するため、東北や関東地方から避難・移住してきた子どもたちとその家族がいます。その数は全校生徒のおよそ1割。当時、乳飲み子だった子どもたちは5年生となり、高学年で転入してきた子どもたちは卒業し巣立って行きました。子どもたちとともに避難・移住してきた親たちもこの地に迎え入れられ、この地での生活に根をおろしています。
そして4年前の2018年、東北・関東地方から避難・移住してきた保護者有志と防災に関心を持っていた保護者が集まり、災害時の子どもたちや教職員の安全をどのように確保していくのか、検討し、提案していこうと「防災自主活動グループ」を作りました。災害時の備蓄食料の用意、各クラスの非常用持ち出し袋の用意、避難引き取り訓練ができるようにマニュアルや体制の整備、避難はしごの設置、地域の避難所との関係構築などなど、長い間、手つかずであった学校の防災への備えを整え始める動きが始まりました。
費用や仕組みについて教員と保護者で話を進めていくうちに、より責任をもって活動していってはどうかとの提案を受け、翌年に「安全管理ワーキンググループ」となり、学校の運営活動として行うことになりました。
災害時の子どもたちや教職員の安全を確保するためには、設備の整った建物や防災倉庫、避難経路の確保など、様々な想定をしての備えが必要となりますが、木造建築物である本校は、(あたたか味が感じられる反面、)鉄筋コンクリートほどの耐震はなく、防災倉庫を保有しているわけではありません。でも、東日本大震災で経験したことを生かして、災害時に子どもたちと一緒にいる教職員の負担が少しでも減るように、子どもたちや教職員のいのちが守られるように、できることから準備していこうと活動しています。
気づいた人が気づいたことを行う、災害への備えも手づくりの学校です。
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