京田辺シュタイナー学校では、10年生で「悲劇」に取り組みます。ほとんど毎年、シェイクスピアの悲劇を題材にしてきました。
本を読んで時代背景をイメージして役を決め、3週間で舞台を作り上げます。
そもそも、なぜ演劇をするのでしょう。息子も私も編入するまで演劇に馴染みがなく、シェイクスピア?悲劇?はて?どんな取り組みかしら?と、ぼんやりしたイメージしかもっていませんでした。
いよいよ台本が配られました。演目は『リチャード3世』。
誰からも愛されず卑屈に育ったリチャード3世。彼によって殺された親族たちは、亡霊となって現れ凄まじいセリフを放ちます。
日々、平和に暮らしている息子たちに、憎しみ・恨み・憎悪などのネガティブで強烈な想いが想像できるでしょうか?
天真爛漫な子が多く、明るい雰囲気をもったクラスで、この演目をどう作り上げるのか、どの役を誰が演じたらよいか、気持ちをひとつにできるのか。
そして、思春期真っ只中の高校1年生が、貴族や王様、農民などの衣装を恥ずかしがらずに着て、役になり切ってみんなの前でセリフを言うことができるのか、と様々な課題が思い浮かびました。
自分の中高生時代を思い起こしてみると、クラスで何かをしようとしても、気持ちがバラバラだったり、一生懸命やろうとする子をからかったり馬鹿にしたり、面倒くさいと協力しない生徒がいたりするのが当たり前でした。
ところが、稽古初日を迎えた息子たちのクラスは、皆の心のエンジンが勢いよくふかされたのです。
私は心底驚きました。
『リチャード3世』を自分たちの作品としてもっとよくしようと、セリフだけでなく、演出、チラシ作成、大道具・小道具、音響に工夫を凝らして、毎晩帰宅が遅くなるまで没頭しました。
もっとよくなるにはと、クラスの仲間を信頼して、お互いにアドバイスを受け、メラメラと感情を煮えたぎらせて本番に挑んだのです。
観劇した保護者は、その迫力に目を見張り、息をのみ、子どもたちの力に圧倒されました。
物語を読み込んで、経験したことのない気持ちを想像し、クラスの仲間を信じてひたすら真剣に演技に取り組むこと。演劇を通して大きな学びを体得し、自分たちの手でここまで出来るのだと達成を喜び、絆が更に深まったようです。
その姿を見て、親にできることなどもう何もないのでは、と息子の成長を頼もしく感じました。
私にとっても一生の想い出となり、私の子育ての中での感動の1ページとなったのです。
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