京田辺シュタイナー学校では4月17日に入学式が行われ、22名の新入生を迎えました。新型コロナウイルス感染症の流行状況に鑑み、在校の生徒・保護者を交えた「新入生を迎える会」は残念ながら中止となりましたが、子どもたちは恒例の「学校探検」で各クラスを訪れた1年生たちに会うことができたようで、「ちいさいね」「かわいいね」と家での話題になっています。
そんな1年生たちがまだ地上の生活を始めたばかりの6年前、おそらく同じように「かわいいね」と言われていたであろう長女は、批判精神旺盛な7年生になりました。中学1年生にあたる学年ですが、本校では8年生までは初中等部として担任も持ち上がるため、節目という意識はあまりありませんでした。
けれど、新学期早々のある日、担任の先生からクラスの生徒たちに向けて、7年生からの生活についてのお話があったそうで、その際に配られたスケジュール帳と、そこに貼られたプリントを見せてくれました。4ページにわたるプリントの最初には「自分で自分の生活を整え、充実した一年にするために」と書かれています。
あらためて読むと、実際に7年生からの生活は6年生までとは随分異なるということに気づきました。例えば、自分で決めた部活動に参加し始め、活動日は6時下校となること、遠方の生徒は自転車通学を申請できることなどです。メディアとの関わりに関しては、小さいうちは自分の身体で見て聞いて感じることを大切にしていましたが、これからは新聞やラジオなどを通して少しずつ外の世界に向けても目を開いていけるように、とも言われました。漫画を読んだり、スポーツの試合をテレビで観たりするときには、のめり込み過ぎないように注意し、自分で止められなくなったら遠ざけようと説明されたそうです。そのほか、自主学習の勧めや、服装や教室内でのマナーについてTPOを考えるという言葉もありました。
これまでは、身体や心が育っている途上の子どもに、頭による決断の負担を与えないために、子どもの生活リズムや生活環境を整えるのは大人の役割でした。ですから、上に挙げたような「自分で自分の生活を整える」ことは子どもから大人への脱皮ともいえる出来事です。配られたプリントには、低学年の子どもたちの前での振る舞いに気をつけるようにとの注意も書かれていました。1年生に対する「ちいさいね」「かわいいね」という言葉は、守られる側から守る側へと移った視点の表れなのかもしれません。
与えられた自由を「好き勝手する自由」とせず、自分で自分を律し、周りの世界へ目を開く機会とし、ひとつひとつの決断を疎かにしないこと。より良き自分とより良き世界にむけて自ら働きかけていくことのできる「真に自由な人間」となるための第一歩を、大切に踏み出して欲しいと思いました。
Y.T.