学校ができるまでの道のり

学校ができるまでの道のり

本校は、教員と保護者が草の根の活動をしながら作った学校です。1994年の土曜クラスから、2001年の開校までの活動をお伝えします。

  • 土曜クラスからの始まり
    シュタイナー教育を取り入れた幼稚園で出会った数人の母親を中心に、シュタイナー教育やその背景にある思想を学ぶための勉強会が始まりました。そして、1994年、わが子にシュタイナー教育を受けつづけさせたいという思いから「シュタイナー学校設立を考える会」が生まれ、1995年から週に一回の「土曜クラス」でシュタイナー教育を実践していくことになりました。
  • 「2001年4月開校」を決める
    1998年1月15日、「関西にシュタイナー学校を作ろう」という集まりが持たれました。この会で「全日制の学校を作るのは京田辺の地で」という皆の合意に達し、この地に設立すること、そして開校日を「3年後の2001年4月1日」とすることに決めました。これを受けて「シュタイナー学校設立を考える会」は「シュタイナー学校設立準備会」に名称を変え、学校を開校する決意を明確にしました。
  • 広報活動をはじめる
    学校を開校するためには、まとまったお金が必要でした。まず、たくさんの人に私たちのやろうとしていることを知っていただけるよう、広報活動をはじめました。 土曜クラスでの実践を見ていただいて「シュタイナー教育」を紹介してもらえたらと、たくさんのメディアにアプローチしました。不登校の子どもの数が急激に増えていた時期でもあり、新しい教育の場のことを取りあげたいというニーズもあったことが幸いして、いくつもの新聞、ラジオ、テレビに取りあげられるようになっていきました。 その中で偶然出会えた新聞記者の方がシュタイナー教育のことをよく知っている方で、大きな紙面を割いて、何度も私たちの活動を取りあげてくださったことが力強い支えになりました。
  • 第一回講演会を開く
    1999年2月5日、開校を2年後に控えた時期に、第一回目の講演会「今、私たちができること──その子らしさを育むために」を開催しました。当日は空席がなくなるほどの200人を超える方々が来てくださいました。 そして、開校までの2年2カ月の間に特別講演会2回を含む計6回の講演会でのべ約800人の方に京田辺に足を運んでいただきました。講演会のたびに、励ましや期待の言葉をいただいたことは、私たちにとって大きな力となりました。
  • NPO法人の取得にむけて
    土曜クラスの参加費の中から積み立てていたお金の額も大きくなり、社会的信用の面からも何らかの法人格を持つ必要性が高まってきました。 そんな時、ちょうど新しくできたNPOの制度が私たちにふさわしい法人格であるとの提案があり、その取得をめざすかどうかの話し合いが始まりました。 話し合いは半年にわたって行われ、NPO法人格を取得できたのは2000年3月の終わりでした。この過程で土曜クラスと設立準備会が一つになり、法人格取得の時から私たちの団体は「NPO法人京田辺シュタイナー学校」となりました。
  • 資金不足の中での校舎建築
    2000年2月、ついに私たちの学校に土地を貸してくださる地主さんとの出会いがありました。並行して進めていた建物工事の着工は開校まで7ヵ月を残したぎりぎりの2000年9月のことでした。 土地の保証金を入れて開校に必要な費用は全部で約5,000万円。うち1,000万円を土曜クラスからの積立金でまかない、4,000万円については、まず、親と教員で用意できる金額を話し合い、足りない分を外部に呼びかけ寄付をお願いしようということになりました。 教員は、深い親交のあった東京シュタイナーシューレ(現・学校法人シュタイナー学園)や横浜の土曜クラス(現・NPO法人横浜シュタイナー学園)を夜行バスで訪ね、寄付をお願いしました。関西の勉強会や土曜クラスを開いているグループの方々が、「京田辺シュタイナー学校設立を応援するために」バザーを開き、収益を寄付してくださったことも一度や二度ではありませんでした。皆さんのお気持ちがありがたくて、お会いしたこともないメンバーの方々に手を合わせました。
  • 木造のシュタイナー建築の 校舎が建つ
    建物のことをいろいろ調べると、プレハブや自分たちで組み立てるログハウスなども、相当な値段であることがわかりました。 そんな折、シュタイナーの建築を学び設計を引き受けてくださる設計士と、資金が集まっていない状態でも工事を引き受けてくださるという施工会社との出会いがあり、当初は思ってもみなかった木造の校舎を建てることになりました。施工会社の方のご厚意で、考えられないほど多くの部分を私たちの手でセルフビルドさせていただいたことも、この校舎建設を実現できた大きな力となりました。

こうして京田辺シュタイナー学校とその校舎は、多くの人の熱い思いの結晶として、その姿を地上に現したのです。

「親と先生でつくる学校―京田辺シュタイナー学校12年間の学び」(せせらぎ出版)より一部抜粋

ともにつくる学校

保護者と教師が作り続ける学校

保護者と教師が作り続ける学校
京田辺シュタイナー学校は、特定の経営者がいて運営が行われているわけではありません。
学校の運営に関わるあらゆる仕事を保護者と教員、僅かな運営スタッフで分担をしています。学内には「ワーキンググループ」と呼ばれる日常的な運営の仕事を担うグループや、その時々の問題を解決するために組織される「プロジェクト・チーム」というグループがいくつもあります。すべて自発的な活動で、保護者の多くがなんらかの活動に関わっています。もちろん、各人の仕事の状況や家庭環境は異なりますから、関わり方は人それぞれです。Eメール等のツールを活用して日々運営に関する事務を担う人もいれば、自分の可能な時間で校庭の植物の水やりや校内の清掃を担う人、学外の方にシュタイナー教育やこの学校のことを知ってもらうために学校報やホームページを作ったり、エポックノート展や講座を開いたりする人もいます。この学校は保護者たちのそうした無償の継続的なボランティアによって存続しているといっても過言ではありません。
学校の会議は、定款によって定められた総会、運営会議、理事会のほか、教師会、学年会、全体集会などがあります。最高の意思決定機関は法人としての総会で、これに準じる意思決定機関が、月2回程度開かれる運営会議です。全体集会は、特に重要と認められる案件について、総意を練り上げ、意思決定の方向性を模索する場とされています。
こうした組織や運営のあり方は、規模が大きくなるにしたがって、柔軟に変化させていくべきことと大切に守り受け継がれていくべきことがあると思いますが、特筆すべきは、関わっている大人たちの関係性に上下がなく水平的であり続けているということです。開校当時、100人に満たなかった生徒数は、2014年度現在、約270人の規模にまで大きくなりましたが、その関係性は保たれたまま「この学校にふさわしい組織運営のあり方」についての模索が続けられています。

「卒業部」と保護者OB会「親鳥」

卒業生たちは「卒業部」を組織し、学年を越えて自由につながりながら様々な活動を行っています。母校との関わりも積極的に持ち、彼らの卒業して得た視点からのアドヴァイスは在校生にとって大きな助けとなっています。また、保護者OB会「親鳥」はバザー・行事への参加や寄付を通して、学校を見守り支援し続けてくれる心強い存在です。


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