【今回のブログ記事は卒業保護者に執筆依頼しました。9月前半後半2回の掲載になります。】
●校舎が出来るまでの思い出
~両方の翼を広げたい・その1~
現在の木造校舎、最初は「半分」しかなかったこと、ご存じですか?
(2001年~2002年)
校舎の中央にあるホールより右側、隣にある教員室を真ん中でスパンと割ったところから、右側半分の校舎しかありませんでした。
つまり、ホールはなくて、現在の、1・3・12年生教室、一階部分で言うと、5・7・9年生教室ですね、その6教室しかなく、現在のようなL字型の校舎ではなく、I字型の校舎だったわけです。
なぜそうだったのかは、ひとえに経済的な理由でした。
この校舎の設計図には、実に驚くほど多くの想いが込められています。
1~12年教室に対する想いについては、学校の書籍などにもありますように、シュタイナー教育の観点から、その位置・天井の形状・色彩に反映されておりますが、そのほかにも、なぜ校舎の右側部分に池があって、なぜそこは「石」が積まれているのか、なぜ校舎左側部分に「かまど」があって、校舎中央に位置するホールの上の屋根はあのようにとんがった形状になっているのか、実に面白いです。
もちろん、経済的な理由で「そうせざるを得なかった」という部分もあるのですが、それを含めて聞いても、実に興味深く、ワクワクするのです。
(日本独自の「縁側」を校舎に取り入れた理由なども・・・)
私はその校舎のコンセプトを聞いて「親鳥が両翼を広げて、雛鳥を守り慈しみながら育てる」という風に感じました。
(設計の伊藤先生がそうおっしゃったのか、私が勝手にそう感じたのか、今ではわからなくなりました。)
片側しかない校舎を見ながら、「いつかその完成形を見たい」「いつかその完成形の校舎の中で子どもたちを育てていただきたい」という想いを持っていましたが、その「いつか」は、開校して数年の年月が経って「経済的な余裕が出来たら」となるのだと思っていました。
しかし、その「いつか」は必要に迫られて、「すぐに」となっていました。開校時、1・2年生の入学希望者が予想以上に多く、また、高学年の授業では、空間が狭いことから生じる様々な困難があり、のびのびとした授業をするために「空間」が必要でした。
「両方の翼を広げたい」という私たちの取り組みは、開校して間もなく開始せざるを得ませんでした。
<つづく>
卒業生保護者 M・T
現在の教室配置図
『親と先生でつくる学校ー京田辺シュタイナー学校 12年間の学び』の詳細は
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