当校は、資金がない教員と親が草の根の活動をしながら作った学校です。1994年の土曜クラスから、2001年の開校までの活動をお伝えします。
土曜クラスからの始まり
1994年、シュタイナー教育を取り入れた幼稚園で出会った数人の母親を中心に、シュタイナー教育やその背景にある思想を学ぶための勉強会が始まりました。そこから、我が子にシュタイナー教育を受けつづけさせたいという思いで「シュタイナー学校設立を考える会」がうまれました。
何とか毎日の「学校」をはじめたいと話し合いを重ねましたが、今すぐに開校することは現実的ではありません。それでも「目の前にいる子どもたちに、できることをしていこう」と、公立学校に通わせながら、週に一回の「土曜クラス」で、シュタイナー教育を実践していくことになりました。子どもが授業を受けている間、親も勉強会を開き、別の日には運営についての話し合いを毎週一回持ちました。
毎日通える学校がほしい
場所は京田辺市内の公民館を借りていました。無機質な部屋を教室として整えるためのカーテンや、季節のテーブルを飾るお人形や花、教材の絵の具や画用紙も毎回持ち運びする、後に「ジプシー学校」といわれるようなクラスが始まりました。初年度は1年生と2・3年合同クラスの二クラス。教員は二人でした。それから3年目を迎えたときには4クラス、約50人の子どもたちが通うまでになりました。
このころから、毎日の学校が一日も早く欲しいと願う親たちの気持ちが高まって来ました。理由はさまざまですが、公立学校とシュタイナークラスという2か所で教育を受けさせることに難しさを感じていたことと、やはり全日制のシュタイナー学校が欲しいということが大きかったと思います。教員たちも、毎日子どもたちを見たい、「学校」という毎日の実践の場が欲しいと切に願っていました。
「2001年4月開校」を決める
1998年1月15日、何人かの呼びかけで、関西にシュタイナー学校をつくろう、という集まりが持たれました。ここには土曜クラスの者だけではなく、関西でシュタイナーの勉強会をしている人、シュタイナーの幼稚園をしている親、など、「学校が欲しい」と思う人たちが集まりました。
大人数の会ではなかったけれど、本気で学校をつくろうという熱のある会でした。ここで、「学校をつくるには、開校日を決めてしまう」という意見が出されました。それが設立準備会にもっていかれ、なぜか皆が納得し、開校日を「2001年4月」と決めました。
そして、「シュタイナー学校設立を考える会」を「シュタイナー学校設立準備会」に名称を変え、学校を開校する決意を明確にしました。
広報活動をはじめる
それまでの話し合いの中で、シュタイナー学校として成り立っていくために、そこに通う子どもたちにとって、生徒は少なくとも50人くらい、土地は300坪以上と目標を立てていました。そんな規模の学校を開校するためには、教員を探し、生徒を集め、土地・建物を持つためにまとまったお金が必要でした。それらをクリアするためにまず、たくさんの人に私たちのやろうとしていることを知ってもらい認知度を高め、協力者、通わせたいと思う生徒をふやそうと、広報活動をはじめました。
土曜クラスが唯一の実践の場でしたので、それを見ていただいて「シュタイナー教育」を紹介してもらえたらという思いで、たくさんのメディアにアプローチしました。子どもの不登校の数が急激に増えていた時期でもあり、新しい教育の場のことを取り上げたいというニーズもあったことが幸いして、いくつもの新聞、ラジオ、テレビにも取り上げられるようになっていきました。
しかし、最初はパンフレットを作るにも細かい活字がぎっしりつまった、私たち以外の人が読む気にもならないものを作るなど、まったくの素人でしたし、つてやコネがあったわけではありませんでした。ただ、「学校」が欲しい、こんなにステキな学校なのですと伝えたくて、よその講演会に参加しては手を挙げ発言をし、学校の宣伝をしたり、シュタイナーの本の解説を書いておられた数学者が関西に来られると聞けば楽屋に訪ねていくなど、今思えば恐ろしいパワー(厚かましさ)でもって行く先々で一生懸命話していました。
その中で偶然出会えた新聞記者の方がシュタイナーのことをよく知っている方で、大きく、そして何度も私たちの活動を取り上げてくださったことがとても助けになりました。
第一回講演会を開く
1999年2月5日、開校を2年後に控え、私たちには土地も建物も必要な教員も生徒も何ひとつ十分なもののない中、第一回目の講演会「今、私たちができること——その子らしさを育むために」を開催しました。シュタイナー教育のことを識って欲しいという強い思いが通じたのか、当日は席がなくなるくらいの200人を超える方々が来てくださいました。また、40名以上の方が「友の会」に入会してくださったり、販売をお願いした書店の方が驚かれるほどシュタイナー教育に関する本が売れました。
この講演会から、考えていることを形にしていく、形になったものを意識をもって考える、そしてまた考えたことを形にしていく…という繰り返しこそ重要で、喜びを持ってそれをしている先に「学校」が形になって表れてくるのだということを確信しました。
この後、借家の一階を事務所として借りることになり、問い合わせをここで受ける仕事も始めました。ここから開校までの2年2か月の間に特別講演会2回を含む計6回の講演会でのべ約800人の方に京田辺に足を運んでいただきました。講演会の度に、励ましや期待の言葉をいただいたことは、くじけそうになるわたしたちにとって大きな力となりました。
NPO法人の取得にむけて
講演会はそれなりの成果をあげていましたが、土地・建物の進行が遅れていました。何十か所もの場所を見に行きましたが、なかなか良い物件はなく、資金がないことや社会的な信用になるものをもたなかったためもあり、こちらが良いと思ってもなかなか土地を貸してくれるという返事はもらえません。だんだん焦りの色が濃くなってきていました。
私たちが考えていた用地に対する条件は、土曜クラスと全日制が一緒に使えることを前提に、京田辺から公共交通機関で30分以内、300坪、定期借地で坪1200円前後というものでした。
土曜クラスの参加費の中から場所を持つために積み立てていたお金の額も大きくなりました。社会的信用の面からも何らかの法人格を持つ必要性が高まってきました。
学校法人や福祉法人は、資金その他でとても無理でした。ちょうど新しくできたNPOが私たちにふさわしい法人格であると、担当者の提案があり、この取得を目指して動くかどうかの話し合いから始まりました。
話し合いは半年にわたり行われ、NPO法人を取得できたのは2000年3月の終わりでした。この過程で土曜クラスと設立準備会がひとつになり、法人格取得の時から私たちの団体は「NPO法人京田辺シュタイナー学校」となりました。
資金不足の中での校舎建築
土地は見つからなくても建物のことは考えておかなくてはなりません。手分けしてさまざまな建物——ログハウス・プレハブ等など——を調べ、見に行きました。先にお金があるという状況ではなく、50〜60人規模の学校を開校するのに必要な建物をとにかくなんとしても用意しようという決意から行動していたため、最終的な予算が決まったのは土地と建物が決まってからという常識を超えるものでした。
2000年2月、ついに私たちの学校に土地を貸してくださる地主さんとの出会いがありました。380坪。京田辺のJR同志社前駅から徒歩5分という最高の立地条件。この土地を借りるかどうか、本当に経済的にやっていけるのか、何か月も話し合いを重ねました。そして、何の保証もないけれど借りようと決心し、契約を交わしました。
平行して進めていた建物についても、お金がない時点で設計・施工発注をしなければならず、規模や費用についてもめにもめました。工事の着工は開校まで7か月を残したぎりぎりの2000年9月のことでした。
土地の保証金を入れて開校に必要な費用は全部で約5000万円。うち1000万円を土曜クラスからの積立金でまかない、後はすべて寄付と自分たちで何とかしようと考えました。まず、親と教員でいくら出せるかを出し、足りない分を外部に呼びかけお願いしようということになりました。
支払い時に足りなければ誰かが立て替えて、さらに寄付や自分たちで生み出して返していこうという気持ちで、まず自分たちにできることから始めました。夏休みの間には、それぞれが親、親戚、友人など周囲の人に趣旨を伝え、寄付をお願いすることにしました。皆暑い中奔走し、帰省の折などに学校づくりの夢を話し、寄付を集めました。
教員は、関西で長年シュタイナーを学んでいるいくつもの勉強会に出向き、また教員同士で深い親交のある東京シュタイナーシューレ(現シュタイナー学園)や横浜の土曜クラスを夜行バスで訪ね、寄付をお願いしました。皆さん快く寄付をいただいたばかりか心から励ましてくださり、たいへんありがたい思いでした。
保護者以外の多くの方の「シュタイナー学校ができてほしい」という願いや想いもまた、学校設立の流れに注ぎ込まれ、大きなうねりとなっていきました。
関西の勉強会や土曜クラスを開いているグループの方々が、「京田辺シュタイナー学校設立を応援するために」バザーを開き、収益を寄付してくださったことも一度や二度ではありませんでした。皆さんのお気持ちがありがたくて、お会いしたこともないメンバーの方々に手を合わせました。
木造のシュタイナー建築の校舎が建つ
校舎を考えたとき、当然ながらシュタイナーの示唆した教育空間を実現したいと思いました。しかし、無尽蔵にお金があるわけではなく必要最低限のスペースを確保することが再優先でした。
土曜クラスでも、できうる限りその年齢に応じてふさわしい空間を用意しようと、親たちが考えてガーゼを染めて教室に張り巡らせ、無機質な部屋を教育空間にする努力をつづけてきました。たとえ、プレハブの部屋であっても工夫をしていいものに作り上げていこうと話合っていました。
しかし、建物のことをいろいろ調べると、プレハブや、自分たちで組み立てるログハウスなども、結構な値段であることがわかりました。少しがんばれば、木造の校舎が持てるかも知れない。そう考えると、教育空間としてもきちんと考えられたこの教育を実践し理解してもらうため、何よりも目の前にいる子どもと未来の子どもたちのために、より気持ちのいい校舎を建てたいという思いが強まりました。
そんな折、シュタイナーの建築を学び設計を引き受けてくださる設計士と、資金が集まっていない状態でも工事を引き受けてくださるという建築会社との出会いがあり、当初は思ってもみなかった木造の校舎を建てることができました。
資金がなかったことと、皆で関わりを持った校舎にしたいという思いで、考えられないくらいの量のセルフビルドを行ったことも、この校舎が実現できた大きな力です。ほとんどプロと言ってよい保護者が学校の中におられたことも、本当に不思議です。母親でありながら、大工さんに混じるように毎日柱や壁、天井を塗った人。一枚の黒板を仕上げるのに7回もの塗装をしなければならず、夜中や早朝、凍えるような寒さの中で黙々と作業した人。毎週のように休日返上でセルフビルドに参加した人。京田辺シュタイナー学校、校舎はこれらの人たちをはじめ、多くの人の熱い思いの結晶として、開校することができました。
※全文は、株式会社 ほんの木(TEL03-3291-5121)『みんなの森』7号、8号でご欄ください。
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